人にはそれぞれ、人生の節目節目で悶々とする時期がある。
就職か進学かで悩んだ田舎の女子高生時代。なぜあんなに結果を急いだのだろう?家の事情など関係なく私学に決めていく同級生が恨めしかった。社会人一年目、仲良くなった同僚にその話をしたら、甘ったれるなと叱られた。「あなたは言うだけ。何も出来ない」その言葉は今も鮮明に耳に残っている。
無意味なお見合いを繰り返した30歳直前。最初から答えは出ていたのに...。
こんなはずではなかったと毎日自分につっかかった30代後半。そのくせ何も始めない根性無し。よく当たると有名な占い師に手相を見てもらったらこう言われた。「あなたはちょっと覗いて危なそうだったらすぐ手をひっこめる。だから絶対大きな火傷はしない」褒められていたのか、けなされていたのか...
40歳を過ぎたら一気に楽になるよと、昔誰かが言った。ただ40歳を過ぎれば精神的に楽になるのだと、その言葉を信じて頭の中で呪文のように繰り返したが、さて楽になったか?図々しくはなったけれど。
40歳を10年過ぎても、まだ悶々とする日はある。ぬるま湯にどっぷり浸かった挙句、最後の人事異動に慌てふためいた昨年。環境の変化を怖れる自分に老いを感じた。それでも一方で、青臭い「夢の卵」はまだ胸の奥に確固として存在する。この矛盾。
何が楽なのか、その基準さえも、毎日変わる。友人は絶対不可欠な存在だ。家族は心の糧である。だが、最後に決めるのは自分自身だ。どんなに不運な状況でも、同じ状態がいつまでも続くことはない。
今年は一年が早かった。早いと思うのは幸せな証拠。そう思うことにしている。