M&D spirit
2007-12-16T17:53:33+09:00
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Photo: Miyuki.S Essay:Daria 二週間に一度のペースでゆるゆる更新中。
Excite Blog
2007年の Merry X'mas
http://mdspirit.exblog.jp/7828764/
2007-12-16T17:50:00+09:00
2007-12-16T17:53:33+09:00
2007-12-16T17:50:07+09:00
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未分類
小学生の頃ぐらいまでは、お正月が大好きだった。年末になるとそわそわした。29日頃からおせちの準備を始める母について買物に行ったり、しめなわを作る父の器用さに感心したり、肝心の元旦より、その準備が私は好きだった。30日に丁寧に家中の大掃除をして、31日には早い目に仕事をすませ入浴。家族全員で年越し蕎麦を食べながら紅白歌合戦を見た。「やっぱり、紅白となると、リキの入り方が違うよねぇ」などと、感激しながら食い入るように見たものだ。今思うと、なんと穏やかで平和な時代だったのだろうと思う。もしかしたら、思い出だからいいことばかり残っているのかもしれない。その時にも事件はあっただろうし、国家間の揉め事もあっただろう。でも、今ほど世の中はねじれていなかったような気がする。
中学生くらいになると正月はお年玉以外に興味がなくなり、世間の風潮もどんどんクリスマス寄りになって行った。子供心には、クリスマスのアイテムのことごとくが、正月よりずっとお洒落に思えた。父は仕事の関係で毎月2回ほど京都に出張していたが、当時仕事先から頂いてくる某有名洋菓子メーカーのケーキがすこぶる美味しくて、今もはっきり記憶に残っている。田舎だったので容易にモミの木が手に入り、毎年12月の声を聞くと、父がどこかの農家からもらって来て大きなツリーを作ってくれた。子煩悩だった父は自分でオーナメントを飾り、綿の雪を乗せ、豆球をチカチカ点滅させて、私たち姉妹を喜ばせてくれた。
父を語るとき、今年はすべて過去形になる。切ない。]]>
本の持ち主
http://mdspirit.exblog.jp/7539514/
2007-10-06T14:28:00+09:00
2007-10-06T17:50:18+09:00
2007-10-06T14:28:44+09:00
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未分類
本の匂いが好きだ。特に単行本。不経済ではあるが、同じ作品なら単行本を買う。厚手の表紙、上質な紙の匂いに出会うと幸せな気持ちになる。子供の頃、両親は私に漫画本を買わせてくれなかった。「内容が...」とはあまり言わなかったが、「紙が悪い」といつも言っていた。安物の紙を使っているから体に悪いとか、もちろんそういうことはないけれど、読み捨てられるようなものを子供に与えたくなかったのかもしれない。だからといって特に両親が本好きだったという記憶もないが、最初に与えられた世界文学全集のおかげで読書は私の欠かせない趣味となり、書店は私の天国となった。今でも自然と本好きの人とは話が弾み、親友と本屋巡りで時間を費やせるのは幸せなことだと思う。
その昔友人の弟T君を好きになったことがあった。彼は私に「○さんが僕を好きなのは、多分珍しい存在だからだろう」と言った。確かに、体を張って仕事をしている彼の、自分の周囲にたくさんいる「理屈っぽいインテリ」とは一味違うバイタリティに魅かれた部分は大きかった。
ある時私と友人は東京へ行くことになり、早朝の新幹線に乗るためT君のマンションで仮眠させてもらうことになった。その部屋は彼のものではなく、彼があるオカマさんから長期で留守番を頼まれていたものだった。仕事で昼夜逆転の生活を送っているT君は留守なので使っても良い、但し掃除をしてほしいということだった。私の気持ちは逸った。恥ずかしながら、独身の青年が一人で住んでいる部屋に興味津々だったのだ。部屋は実際の持ち主の不思議な衣装がある以外はシンプルな部屋でこれと言って汚れた箇所も無く、掃除はあっさり終わってしまった。ふと棚の片隅に積み上げられた数冊の本が目に留まった。タイトルは忘れたが、自分と同じ好みの小説群に私の胸は高鳴った。「ねぇ、これTちゃんのかな?」と友人に尋ねると、「いや、オカマさんのでしょ。弟は本なんて全然読まないから」。
百年の恋はそこで冷めた。心の奥底で、「無骨だが実は読書家」という像を勝手に作り上げ、その幻想にときめいた自分に、情けなささえ感じた終わり方だった。]]>
「親孝行」は させてもらう
http://mdspirit.exblog.jp/7135055/
2007-07-18T03:07:00+09:00
2007-07-18T23:14:40+09:00
2007-07-18T03:07:03+09:00
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未分類
「東京タワー」という作品はずいぶん話題になり、小説だけに留まらずTVドラマにも映画にも舞台にもなったが、私は残念ながら映画しか見ていない。泣く泣くとあまりに言われていたのでそれほど泣くことはなかったが、意外なシーンがとても印象に残っている。それは、主人公がいちおう一人前になって母親を東京へ呼ぶシーン。おずおずと、お伺いをたてるように「東京へ来ないか」と切り出し、母親が快諾すると、むしろホッとしたような表情を浮かべていたことだ。これは、実感としてとてもよくわかった。親孝行なんて正面切ってやるのはとても照れ臭いし、第一自分が良かれと思ってしたことでも、果たして親が本当にそれを望んでいるのかなんて、実際はよくわからないからだ。「親孝行してあげる」なんて言葉は、私にはとても傲慢に聞こえる。
以前私が大好きだった香港の映画俳優レスリー・チャン氏は、裕福な商家に生まれ育ったが、両親の愛情には恵まれていなかった。40才を過ぎてから過去に確執のあった実母と同居を始めた時、「どうやって触れ合ってよいか互いにわからず、変に遠慮しながらも、少しずつ歩み寄って距離をつめていっている状態」と語っていたインタビューを読んだことがある。それはとても切ない話だった。しかしそんな関係でも、いや、だからこそ、彼は母親を亡くした時、ひどく落胆した姿を見せていた。
近くて遠い、好きなのにどうしてよいかわからない、親と子の関係。私は父が大好きだったが、面と向かって話す時、いつもものすごく照れ臭かった。妹はそんなことは全くなかったと言う。あれはいったい何だったのだろう。]]>
雨女
http://mdspirit.exblog.jp/6821282/
2007-05-06T15:02:00+09:00
2007-05-06T15:06:42+09:00
2007-05-06T15:02:01+09:00
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未分類
自分がかなりの雨女であることを認識したのは、いい大人になってからであった。ある時アルバムの整理をしていて、ふと傘をさした写真が多いことに気付き、あちこちのアルバムをひっくり返してみてやっと、相当な頻度で雨にあっていることに気付いたのだ。それまでは自分が雨女だなんて考えもしなかった。子供の頃は集団の旅行が多く、晴れ男や晴れ女のおかげで難を免れていたが、少人数で旅をするようになってからは遺憾なくその力を発揮してしまい、友人たちにずいぶん迷惑をかけてしまっている。親友と行った東京、初めての代官山。洒落たカフェの2階から見下ろした小道。香港返還の年。ビクトリアピークの頂上のカフェで雨にけむる窓の外を眺めたことも。事前に組んだスケジュールの半分も消化出来ず、思いっ切り不完全燃焼で帰って来た。あんなに通いつめた香港にもあれ以来行っていない。極めつけは二年前のソウル。土砂降り。景福宮のそばで万策尽きた気分になり、宗教団体らしき建物でしばし雨宿り。お菓子まで頂いて親切にしてもらった。女三人、よほど情けない顔をしていたのだろう。雨の中を気合で走って仁寺洞まで行き、伝統茶のお店に飛び込んでぬるくて薄いコーヒーを飲んだ。免税店が一番盛り上がった旅だった。そう言えば、初めて行ったグアムは台風だったし、カナダのバンフもロンドンも雨だったなぁ。一人旅ともなると70%くらいの割合で雨だ。母は私が旅に出る日はどんな早朝でも一緒に起きてくれるが、必ず「雨、降ってるよ」と笑う。本当にもう笑うしかない。]]>
センスという不思議な才能
http://mdspirit.exblog.jp/6700935/
2007-04-07T00:06:00+09:00
2007-04-07T00:08:04+09:00
2007-04-07T00:06:44+09:00
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未分類
私の母は花が好きで、猫の額ほどの裏庭に幾種類もの花を植え、部屋の中でも観葉植物を育てて楽しんでいる。ひまわりやチューリップ程度の名前しか知識に持たない私は、話相手になる資格もないが、時折はっと感心したり思わず見とれてしまうのは、どこかで摘んできた野の花や折れた枝などを、巧みに一輪挿しや洒落たガラス瓶に挿して飾ってあるのを見た時だ。自分の身内を手放しで褒めるのは気がひけるが、しかし、本当にいいセンスをしていると思う。着る物にも化粧にも一切興味を持たないひとなのに、花を飾るセンスは抜群だ。私は整理整頓魔で常に部屋を綺麗に整えてはいるが、こういうセンスは母の足元にも及ばない。
ところで、このセンスという言葉、なんとも曖昧で、摩訶不思議な言葉である。とてもよく使われている割に実体がない。例えば、「君、野球上手いね」と言われるより、「君、野球のセンスあるね」と言われた方がなんとなくワンランク上に聞こえるのは何故だろう(笑)。「センスを磨け」とあっちにもこっちにも書いてあるが、いったいどうすれば磨かれるのか?残念なことにこれは頑張ったから身につくものでもない。生まれつきの美意識、環境、遺伝、経験等これらすべてをシャッフルし濾した上澄み液が、=センスであると思う。○○の分野で自分はセンスのいい人になりたい、と思ったら、まずその世界の第一人者の仕事をよく観察し、とりあえず真似てみる。慣れたら自分の色を出す。失敗が多いほど、センスは磨かれるのかもしれない。私は文章のセンスが欲しいが、こんな下手な文章をどれだけ書き連ねれば、洒落た短編が書けるようになるのだろう?収納のセンスの方がよっぽどあるような気がする。]]>
没個性の中の個性
http://mdspirit.exblog.jp/6613012/
2007-03-17T03:02:00+09:00
2007-03-17T03:02:00+09:00
2007-03-17T03:02:00+09:00
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学業を終えた若者が、社会に出るため職を求める、その行為のためにこれだけ皆同じ洋服を着るのは、日本だけではないだろうか?それでもアジアにはまだ中国とか北のあの国とか、大勢が同じものを着るという習慣がなきにしもあらずだが、この光景をヨーロッパ、特に「個」の意識の強いイギリスやフランスの人が見たら唖然とするかもしれない。私たちの若い頃はここまで統一されていなかった。一応皆スーツを着て試験を受けに行ったが、色も柄もバラバラだったと思う。男子は似たような紺色のスーツを着ていたが、女子が開襟のブラウスに紺色のスーツという定番になったのはまだ最近のような気がする。やはり明るい色のスーツなど着れば、いっぺんに人事の人に目をつけられて、面接を受ける前から結果はわかっている、というようなことになるのだろうか?なんだかつまらない世の中になっているなぁ。
私はcafeが好きなので毎日のようにコーヒーを飲みに立ち寄っているが、そこで必ず出会う彼らははて、来年の就職のために、一年以上も前からため息をつきつつスケジュール帳とにらめっこしているのだろうか?青田刈り厳禁などと叫ばれていた頃が懐かしくなるくらい、今は採用する方もされる方も先を急いでいる。しかし、これだけ皆が同じかっこうをしていると、よほど中身でアピール出来ないと、全く目立たない。服で目立つということが出来ない分、ある意味余計ハードルは高いのかもしれない。今の若い人は若い人で大変なことも多い。どうか、彼らが希望の仕事に就けますように。]]>
今夜は私が...
http://mdspirit.exblog.jp/6553021/
2007-03-03T03:07:00+09:00
2007-03-03T03:21:53+09:00
2007-03-03T03:07:53+09:00
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男性とのおつきあいはは多い方ではないので(むしろ乏しい)わかった風なことを書くと友人たちに笑われそうで、少し緊張する。しかし、これは恋愛のことではないのでまぁいいだろう。男性と二人きりで食事をした時(好きな人に限らず)、支払いはどうするか?ちょっと考えるところではある。もう少し若かった頃は、年下の青年を誘って行くことも時々あった。彼らはたいてい気持ちよく食べ、飲み、私がおごった時は「ご馳走様でした」ときちんと礼を言ってくれた。たとえ年下でも「今日は僕が...」とおごってくれたこともあった。問題はおじさんたちの方だ。「日頃仕事で世話になっているから礼がしたい」と言われ、喜んで同僚とついていったら、翌日割り当てが回って来て唖然となった経験もある。十年以上昔、片想いでボロボロになっていた頃、仲良くしていた上司が見かねて誘ってくれた。1軒目は日本料理屋、2軒目はホテルのラウンジだった。彼はいかにもな感じで私をなぐさめてくれた。ラウンジで支払いの際、私は「私も出します」と言って、2軒の代金を足し、その半分以上を彼に渡した。あ、どうも、と言って彼は当然のごとくそのお金を受け取った。私は軽くショックを受けた。いや、それはその分のお金が惜しいとかそういう問題ではなくて、一気に気分がしぼんでしまったのである。いい気分でカクテルなぞ飲んでいた自分が滑稽に思えた。
ある女性誌で、「年下とつきあう極意特集」(笑)」が組まれた時、有名な女流作家が「彼が支払いに立った時、さりげなく自分の財布を渡す」とコメントしていて、大いに驚いた記憶がある。私に言わせれば、支払っている女性を待っているより、財布をつかまされることの方が屈辱のような気がするが、さてどうだろう?こんなことを雑誌で指南してもらおうというのも情けない話だけれど(笑)。]]>
その先の日本へ
http://mdspirit.exblog.jp/6467111/
2007-02-12T01:08:00+09:00
2007-02-12T01:09:17+09:00
2007-02-12T01:08:56+09:00
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ずいぶん前の話になるが、親友とコピー教室に通っていたことがあった。これは自分が遍歴を重ねたカルチャースクールの中では、かなり楽しい部類に属した。毎週違う講師が登場し、それは広告代理店の一線で活躍する現役ライターのこともあれば、大学で宣伝広告を教えている先生の時もあった。自分たちで作るだけでなく、多くのプロ作品を目にしたが、思わず「うまいっ!」と手を叩きたくなるようなものばかりだった。その中で一番好きだったコピーが、これだ。
「その先の日本へ」
写真が良かったということもあるが、自分が旅好きであるというのも大きな理由だ。たった1行の文章の中に大きな広がりが感じられる。「Discover Japan」なんかより、ずっとぐっと来るような気がした。私は海外旅行で飛行機に乗るのは全く怖くないのに、国内では怖くて乗れない。今までの墜落事故がみな国内線で起こっているというだけの単純な理由で。そのため、もっぱら鉄道を愛用する。新幹線には年間何度乗るだろう?もちろん出張のサラリーマン氏に比べればお話にならないが、中年(をちょっと過ぎた)女性にしてはよく乗っていると思う。特に観光と名はつかなくても、なんとなく乗っているだけで気分は逸る。一人の時は気に入った本を持って乗る。1時間もすれば熟睡してしまうが、それはそれで命の洗濯になる。仲のいい友人たちと弁当を買って乗れたら最高である。素敵な芝居やコンサートの後ならもっと楽しい。そんな楽しみのために働いているような気さえする。
来週また東京である。えっ、また行くの?という反応を予想して母におずおずと告げると、「あ、そう。また雨らしいよ」とニヤリと笑った。]]>
目立たない人
http://mdspirit.exblog.jp/6417107/
2007-02-01T03:06:26+09:00
2007-02-01T03:06:26+09:00
2007-02-01T03:06:26+09:00
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その昔、当時仲の良かった会社の後輩に「○さんて、犯罪犯しても絶対ばれないタイプやと思う」と言われたことがあった。御堂筋の人込みの中を歩いていた時だった。「なんで?」と聞き返すと「だって、全然目立たないもん。すぐに逃げたら絶対つかまらない。すっと街の中に溶け込むっていうか、どこにでもある顔やし」と、今思えばかなり失礼だなと思うことをズバッと言われた(笑)。人間そういうことはなかなか忘れないものだ。
そんなふうに言われて喜ぶどころか(確かに犯罪を犯す予定があるわけでもないから、そんなことを言われても嬉しいはずがない)自分はそんなに個性のない顔をしているのかと、私はすっかり落ち込んでしまった。若い頃の私は、とにかく人より目立ちたかった。人に変わり者と言われると密かに喜んだ。「平凡」という言葉が大嫌いだった頃、ある有名な落語家が「蟹座のO型人間が何より嫌いなのは平凡という言葉」と言うのを聞いて思わず唸ったことがある。私も彼と同じ蟹座のO型なのだ。
何をどうすれば個性的になれるのかなどほとんどわからず、それは目立つことなんだという方向に行きそうになったこともある。並ぶ時は人より一歩前に出よう、そう心がけていた。20歳までである。失恋や転職やあらゆる人並みな挫折を重ねるうちに、私は「すっと街に溶け込む」自分を嫌だとは思わなくなっていった。年を取れば取るほど「目立ちたい」という感情は薄れていく。それが年齢のなせる技なのか、成長なのか、諦観なのか、自分ではよくわからない。ただ、一つわかったことがある。目立たないということは、とても自由だということだ。]]>
たそがれ遊園地
http://mdspirit.exblog.jp/6328744/
2007-01-13T00:10:00+09:00
2007-01-14T23:34:12+09:00
2007-01-13T00:10:16+09:00
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未分類
人込みが好きだ。もう少し詳しく言うと、人が集まるべきところに集まっている状態が好きだ。例えば、意味もない騒ぎや一時のブームで「なんでもないところ」に人が集まるのではなく、お祭りや夏の海、各種イベント、バーゲン会場(笑)。そういうものには思いっきり人が集まってほしい。私は、そういう「人でいっぱいの中」を「すごい人やねぇ」などと言いながら歩くのが大好きな変わり者である。逆に言うと、そういう場所に人が集まっていない状態はたまらなく寂しい。いまいち盛り上がらないお祭りや、企画倒れのイベント、冷夏の海水浴場、営業不振の遊園地...。みんな同じたそがれた匂いがして、思い出さなくてもいいことを思い出したりする。
長い間このブログを更新せずにいたので、さぁ新春第一弾は何を書こうかと考えていた時、とんでもないニュースが飛び込んできた。韓国の最大遊園地ロッテワールドが休館するらしい。正月にふさわしいニュースではないが、私は即暮に親友からもらっていたこの写真を思い出した。これは日本の某遊園地だけれど、どこであっても、遊園地の閉鎖は哀しい。止まったままの遊具の向こうからかつての喧騒が聞こえる。幼い頃楽しんだ遊園地はほとんどなくなってしまった。ロッテワールドの休館は遊具の点検を怠った結果安全の保証が得られないとかそういう理由だったと思うが、ソウルの街角インタビューがとても印象的だった。ビジネスマンは「そんなもの、まだ行く人がいるの?」と言い、「もっと早く閉めるべきだったのよ」と若い女性は言っていた。地元の人たちの意外なまでのドライさとは対照的に、日本の観光客は「ここはドラマ『天国の階段』に出てきたところなのよ」ととても残念そうだった。聞いていて不思議な感じがした。]]>
愛は重い
http://mdspirit.exblog.jp/6230382/
2006-12-23T00:20:00+09:00
2006-12-23T00:24:04+09:00
2006-12-23T00:20:15+09:00
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未分類
男性に言わせると、何とも思っていない人からもらう手作りのプレゼントほどやっかいなものはないらしい。「手作りが嬉しいのは相思相愛の場合だけで、好きでもない人から思い入れたっぷりのものをもらうのは迷惑以外の何ものでもない」。定説となってしまったその言葉を耳にするたび、まさにそれを地で行った自分の過去をほろ苦く思い出す。今までの人生で一番リキの入ったクリスマスプレゼントだったことは間違いない。高校3年の暮。二学期の終業式に、私は手編みのマフラーを用意していた。三年間ひたすら好きだったK君にプレゼントしようと一ヶ月前から編み始めていたマフラーが完成したのだ。これが実はとんでもない代物になっていた。
母から習った編み物は鈎針ではなく棒針で、その分目が詰んでいた。おまけにいらぬ力が肩に入って、編み目はどんどんきつくなった。最初予定した量の2倍の毛糸玉を消費した。かなりいい毛糸を使ったので、思わぬ出費にもなった。紺色のマフラーは30cmほどの幅のものを半分に折って使う手はずになっていた。出来上がった物はマフラーと言うより綱に近かった。自分でも重いなぁと、後悔にさいなまれた。その日は学校で渡す勇気がなく、終業式が終わってから、友人について来てもらって彼の下宿まで行った。ところが彼は、既に帰省した後だった。同郷の同級生(女性)がまだ残っていた。彼女に託す時、なぜか絶望的な気分になったことを憶えている。年が明け、新学期が始まっても彼は一度もそのマフラーを学校にしてこなかった。ある時、思い余って彼の親友の男子生徒にこっそり聞いてみた。「ああ、あれ?下宿でひざ掛けにしてるよ」。意外な答えが返って来た。私は少しホッとし、そして自分で自分を笑った。マフラーはさぞ膝に食い込んだことだろう。
あれが私の最初で最後の手作りプレゼントになったことは言うまでもない。]]>
悩ましい季節
http://mdspirit.exblog.jp/6163907/
2006-12-09T00:13:00+09:00
2007-02-05T02:15:06+09:00
2006-12-09T00:13:47+09:00
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人にはそれぞれ、人生の節目節目で悶々とする時期がある。
就職か進学かで悩んだ田舎の女子高生時代。なぜあんなに結果を急いだのだろう?家の事情など関係なく私学に決めていく同級生が恨めしかった。社会人一年目、仲良くなった同僚にその話をしたら、甘ったれるなと叱られた。「あなたは言うだけ。何も出来ない」その言葉は今も鮮明に耳に残っている。
無意味なお見合いを繰り返した30歳直前。最初から答えは出ていたのに...。
こんなはずではなかったと毎日自分につっかかった30代後半。そのくせ何も始めない根性無し。よく当たると有名な占い師に手相を見てもらったらこう言われた。「あなたはちょっと覗いて危なそうだったらすぐ手をひっこめる。だから絶対大きな火傷はしない」褒められていたのか、けなされていたのか...
40歳を過ぎたら一気に楽になるよと、昔誰かが言った。ただ40歳を過ぎれば精神的に楽になるのだと、その言葉を信じて頭の中で呪文のように繰り返したが、さて楽になったか?図々しくはなったけれど。
40歳を10年過ぎても、まだ悶々とする日はある。ぬるま湯にどっぷり浸かった挙句、最後の人事異動に慌てふためいた昨年。環境の変化を怖れる自分に老いを感じた。それでも一方で、青臭い「夢の卵」はまだ胸の奥に確固として存在する。この矛盾。
何が楽なのか、その基準さえも、毎日変わる。友人は絶対不可欠な存在だ。家族は心の糧である。だが、最後に決めるのは自分自身だ。どんなに不運な状況でも、同じ状態がいつまでも続くことはない。
今年は一年が早かった。早いと思うのは幸せな証拠。そう思うことにしている。]]>
地球最後の日
http://mdspirit.exblog.jp/6072118/
2006-11-21T00:13:00+09:00
2006-12-09T00:14:28+09:00
2006-11-21T00:13:14+09:00
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空
「虹の女神」という映画を見た。付かず離れずお互いを意識しつつもあと一歩が踏み出せない主人公の若い二人。大学時代に出会って社会人となるまでの人生のわずかな期間。その頃ならではの揺らいだ空気が繊細に表現されていた。印象的だったのが、監督がこだわっただろうと思われる風景の数々。冒頭、空にかかった不思議な虹、二人が立つ水溜りに写る空。いい具合に紗のかかった部室の風景。今思い出しても、ちょっといい気分になる。俳優陣の好演もあり、小粒ではあるが味のある素敵な映画だった。
劇中、映画研究会に所属するヒロインが自作自演していた短編映画があった。「地球最後の日」と言ったか?。いかにも学生映画らしい荒い粒子の画面が、懐かしい雰囲気を画面に醸し出していたが、映画館を出た後私はふと考えた。あと一週間で地球が滅亡すると言われたら、私ならどうするだろう?まず、好きな人に会いに行く。好きな人って?(笑)ほんとにほんと?家族はどうするの?放っておくの?単なる妄想のはずなのに、所々で現実的になるのが哀しくもある。生きている間に一度はやってみたかったこと、会いたかった人、食べたかった物...ふと気付く。私だけが死ぬんじゃなかったんだ、地球が滅亡するんだ、じゃ、人間考えることは皆同じだ。今更会社なんかどうだっていいやと思い、退職または欠勤し、目的を果たそうとする。そう、電車の運転士も飛行機のパイロットもタクシーの運転手もホテルマンも。職場にこそ家族同様の絆があるという人だけが仕事を全うするだろう。そうなると、どこへも行けない。結局帰るところは家族のもとである。家族と共に静かに滅亡の日を待つしかない。しかしお腹はすく。コンビニに行っても閉まっているか、とうの昔に食料は尽きているだろう。わずかに備蓄した食糧を少しずつ食べ、思い出話をしながら果てていくのかもしれない。もしかしたら滅亡の日の前に滅びるかもしれない。そんなことを考えていると、我々が何も知らずに生きていることが神の恩恵のように思えてきた。滅亡の日は既に決まっているのかもしれないが、何も知らないからこそ、その寸前まで精一杯生きていける。
この空は永遠にあると思いたい。
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ハッピーで行こう!
http://mdspirit.exblog.jp/6019133/
2006-11-11T00:32:00+09:00
2006-11-11T00:32:00+09:00
2006-11-11T00:32:00+09:00
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TVを買ってもらったばかりの頃(ずいぶん古い話だが)、アニメと言えば「ポパイ」であった。今思うと主人公はまるでおじいさんのような風貌で、ヒーローとは程遠い。ストーリーはいつも同じ展開。悪漢ブルートによって拉致された恋人オリーブを助けようと奮闘するポパイ。窮地に陥るたびに彼を救うのは、1缶のほうれん草の缶詰。ほうれん草を食べれば百人力。悪漢を倒して恋人を奪回。毎回飽きもせずこの繰り返し。勧善懲悪、単純明快。いや、実にシンプルでわかり易い。しかし、唯一人よくわからない登場人物がいた。帽子をかぶりチョビ髭をはやした謎の男。ストーリーにはほとんど絡まないこの男を、私と妹は毎週興味津々で見ていた。彼が毎回手から離さない食べ物が気になって仕方なかったからだ。パンらしき丸い物の間にはさまれた四角い物体。サンドイッチとは明らかに違い、妙においしそうである。私と妹はままごと遊びの時も粘土細工で、そのわからない何かを作った。私がチーズバーガーを知ったのは、そのもっともっと後である。
ジャンクフードと言えば真っ先に名前が上がるファーストフードの数々。「アメリカ料理」と一つの名で括られる、ハンバーガー・ホットドッグ・ドーナツ・アップルパイ。「何でも大きければいいと思っている」などと、行ったこともない人間に不当に評価され続けているアメリカ料理。しかし、並べてみてわかったが、私はどれも結構好きである。
生まれて初めてハワイへ行った時、友達の一人がレストランでハンバーガーを注文した。それは、大きな皿に盛られてやってきた。彼女はフォークとナイフでぎこちなくパンを切っては口に運んだ。「そんな食べ方おいしくないよ。かぶりつけばいいのに」と仲間がすすめても、B型さそり座の彼女は「ここはレストランだから」と、その姿勢を崩さなかった。ハワイではケーキも弁当箱のように大きく、半分で皆ギブアップしたが、飛び切りおいしいものが残っていた。それは浜辺のワゴンで買ったホットドッグである。これはわがホットドッグ史(笑)に残る絶品の味だった。パンに弾力があり、荒挽きソーセージはこんがりジューシー。ケチャップもマスタードもどこかしら違う気がした。丸ごとガブリ。あー美味い!シンプルは最高だ。こうなりゃ何でもハッピー、ハッピー、ハッピーで行こう!
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ディナーショー
http://mdspirit.exblog.jp/5942101/
2006-10-28T03:02:00+09:00
2006-10-28T03:13:13+09:00
2006-10-28T03:02:06+09:00
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毎年今頃の季節になると、クリスマスディナーショーの予約が始まる。もう少し若い頃はよく行った。最近はとんとご無沙汰だが、ディナーショーと言うと必ず思い出す話がある。
今から10年ほど前、会社の同僚のYさんが、小淵沢に出張した。翌日、武田信玄にまつわる煎餅だか饅頭だかを手に携えて帰ってきた彼は、前夜体験した不思議な出来事を私に話してくれた。
その日の打ち合わせを無事に終了し空腹を抱えたYさんは、一人でも気軽に食事がとれる店を探してウロウロしていたそうな。地方都市ゆえになかなかそれらしい店もなく、もうどこでもいいや、とたまたま目に付いた一軒の店に飛び込んだ。中は意外に広く、ごてごてと飾られた一見不釣合いな装飾を見て、彼は今がクリスマスシーズンであったことを思い出した。座って周囲を見回すと、客は彼一人だった。メニューには洋食系統が並んでいたが、結構いい値段だった。しまった、入る店を誤ったかなと一瞬思った。ビールを1本と何かの定食を頼んでしばしぼんやりしていると、ドレスを着たあまり若くない女性が登場して1曲披露した。なかなか上手だった。一対一で恥ずかしいなぁと思っていると、女性はマイクスタンドを両手で持ってこう言った「本日は私のディナーショーにようこそおいでくださいました」と。彼は驚き、自分は旅の者で一夜の夕食のためにこの店に入ったこと、最終の列車に乗るから長居は出来ないことなどを伝えた。彼女はにっこりと微笑み返し、「これも何かの縁、聞けるところまで聞いていってください」と答えた。約束通り彼は終電までその店に居座って彼女の歌を聞き続けた。彼女は、夢を抱いて東京に出たものの挫折して故郷に帰ってきたこと、毎夜自分のディナーショーだと思って歌っていることなど話し、いよいよ最後の曲になった時、静かに言った。「私が歌うのは今日で最後です。ありがとうございました」]]>
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